時代が変われば家族のお金の扱いも変わる

家族のコミュニケーション不足で家のお金は腐ってしまう

結婚して、子どもができて、家を買って、35歳を過ぎたあたりから「最近、なぜか生活が苦しくなったように感じる」と不平不満をこぼす方々を多く見かけます。「自分たちの両親が40代だったころより、自分の年収のほうが多いはずなのに、こんなに生活が苦しいのは一体何でだろう?」ということですが、この原因は「ライフスタイル」が向上したことにあります。

子どもが新学期に必要なものは1冊30円のノートだったのに今では20万円のノートパソコンが必須です。自動車やクーラーだって今では一家に2台の自動車が必要ですし、クーラーはすべての部屋についています。

こうして35歳を過ぎたころから「ライフスタイル」の向上は家計を直撃しはじめるために、生活が苦しくなるわけです。そして、自分たちの生活が苦しいがために両親に結婚式の費用や住宅の頭金を手伝ってもらうだけでなく、自分たち以上に子どもにおもちゃを買ってもらうようになるわけですが、こうしたお金の援助に対して反対に自分たちが恩返しをさせられる羽目に陥る可能性もあります。

それは「寿命」が伸びているからです

日本人の平均寿命は1900年頃には45歳程度と「老後」がなかったわけですが、1965年ごろには70歳程度となり、2010年では男性79歳、女性86歳となっています。過去100年間の急激な変化を見れば、今後ますます寿命が延びるでしょうから、90歳程度を想定したほうが無難です。ということは「老後」は30年以上になるわけで、生活費が足りなくなるだけでなく、怪我や病気で入院する可能性が高くなり、今度は自分たちが両親の生活費を捻出する必要が出てきます。

つまり、時代が変わったため、家族の「お金の問題」を見直す必要がありますが、日本では「人前でお金の話をするのはハシタナイ」とする文化があるため、家族のために有効にお金を利用できなくなってしまいます。Bさんは昔ながらのやり方で家族のお金を扱っていますから、家族にとって本当に必要なことへお金が回っていない人生の危機が待ち受けます。

— posted by Chapman at 03:11 pm  

皮肉にも年収が下がったために転職先の選択肢が広がった

たしかに、彼の状況には同情の余地がある。これまでの日本の銀行なら、彼が役員になれていた可能性は、少なくともいまよりはずっと高かったはずである。ところが、合併によって、役員になれる確率がガクンと落ちてしまった。そもそも、わずか10年前までは二桁の都市銀行があったのに、それが三菱束京UFJ・三井住友・みずほ・りそなの四行にまで減り、日本興業銀行、第一勧業銀行、富士銀行といった名門銀行の名前が消滅してしまうなど、誰も想像できなかったはずだ。

おまけに、役職が上がれば給与も上がるのが当たり前たった銀行業界で、年収がかつての6割になってしまうなんて、悪夢以外の何物でもないだろう。しかし、彼には冷たいようだが、いまさら「こんなはずじゃなかった」と気がついて、あれこれ悩むようでは遅いのである。さらにいえば、50代半ばに近づいても、自分の進む道を自分で決められないこと自体に、彼の悲劇(あるいは自業自得)がある。そこで、少し皮肉まじりにこういった。

「あなたの年収が1600万円だったら、転職の選択肢は非常に狭くなる。そこまで払える会社なんて少ないからだ。しかし、1200万円だったら、選択肢は広がる。その年収であなたのキャリアを活かして働いてほしいという会社は多いはずだ」

彼は話を聞いて、がっかりした様子だった。なぜなら、1200万円の年収に我慢できずに相談にきたのであり、同じ年収なら転職の意味が薄れるからだ。その表情をみて、最後にこういった。

「あなたはまだ50代前半なのだから、あと10年は現役でやれる。どの道に進んだらいいかと悩んでいる段階で相談を持ちかけても仕方がない。やはり、自分はサラリーマン人生の最後に何をしたいのかをもっときちんと突き詰めて考えて、その答えが出てから相談にきてほしい。そのときに、改めて相談に乗りましょう」

じつは彼だけではなく、このごろ、一流大学を出て30年ものサラリーマン生活を送ったあげく「自分の人生はこんなはずじゃなかった」という人が、なぜか増えているのである。もしかしたら、あなたもその一人なのかもしれない。

— posted by Chapman at 05:30 pm  

北里柴三郎はテルモを創業した起業家だった

どれほど特殊なのかは、このごろ起きている色々な変化を見ても大体わかるが、もう少し時代をさかのばったところから検証を始めることで、より明確にその特殊さの本質を解き明かしてみよう。以下では、明治から終戦まで、戦後、平成と3つの時代区分で考えてみたい。転職についていえば、8割が一度は考えたとはいえ、戦後の人達の現実の転職率は大企業においては極端に低かった。会社が潰れてしまって止むを得ずという場合を除くと、きっとコンマ以下のような数字になると思われる。

それに比べたら、戦前は、転職する人が結構いた。しかも戦前の人たちの転職は、業界を横断して職を求めるというもので、今の平成時代よりもむしろずっと転職のスケールが大きかったのである。たとえば、テルモという医療器具のメーカーがある。連結売上高は2,440億円を超える会社だが、なんと経常利益が500億円を超える、日本でも有数の高収益優良企業だ。このテルモがどういう経緯で生まれた会社なのかをみると、なかなか面白い事がわかってくる。

テルモができたのは、第一次世界大戦(1914~18年)がきっかけだった。第一次世界大戦はヨーロッパで起きた戦争だから、日本は参戦しなかったも同然だが、基本的スタンスは、ドイツ・オーストリア・ブルガリアなどの同盟軍側ではなく、イギリス・フランス・アメリカなどの連合軍側だった。実際、日本はそれなりに連合軍を助けて、太平洋の独領諸島を日本の信託統治下に収めるなど、ちゃっかりと国益も得ている。それはよかっだのだが、この戦争のおかげて困ったことが起きた。

当時の日本には、病院などで使う体温計をつくる技術がなく、主にドイツから輸入していたのである。ところが戦争が始まって連合軍側についたため、ドイツとの貿易が途絶え、体温計が入ってこなくなってしまったのだ。そこで、日本でも体温計をつくる必要ができて、第一次世界大戦後にいまのテルモの前身が設立されたのである。

その設立発起人に北里柴三郎の名前がある。北里柴三郎博士といえば、ドイツに留学して破傷風の血清療法を開発したり、香港でペスト菌を発見するなど、わが国を代表する細菌学者である。彼が会社経営の実務までやったとは思えないが、設立発起人だったということは、今でいえばベンチャーの株主みたいなものである。

北里博士は慶圏義塾大学医学部の初代学部長であり、また北里大学をつくった医学者・教育者でありながら、日本初の体温計メーカーを立ち上げたアントレプレナーでもあったわけだ。樋口一葉も偉いが、北里先生も「お札」になるべきだろう。

— posted by Chapman at 11:58 pm  

「転職願望者」と「転職希望者」は違う

もちろん、転職を一度も考えたことがない人もいるだろう。その場合、①給料が業界の中で相対的に高い、②同期入社の中で出世争いのトップ集団に入っている、この2つの条件を同時に満たしている場合のみではないか。こういう恵まれた人はサラリーマン全体の1割以下、多く見積もっても2割はいないはずだ。

ちなみに2割いるとして、20年前と同じように現在も、残る8割が一度は転職を考えた人達だとしても、この両者の内実はまったく違ってしまっている。同じ8割でも、とても同列には論じられないのである。20年前の「8割」の大半は、本当は転職する気がない、単なる「転職願望者」だった。

対して今の「8割」は、よい転職先があればすぐにでも移りたい、本当の「転職希望者」である。転職というキーワードを与えてくれた例の銀行マンが、実は単に転職願望者なのか、それとも本気の転職希望者なのか、まだ本当のところがわからない。

なぜなら彼は、つい最近まで20年前までのムードとシステムを残す大銀行勤務だった。そのなかに30年間どっぷりと漬かって生きてきた人が、いくら時代が大きく変わったからといって、すぐに「転職願望者」から「転職希望者」に変われるものかどうか、いささか疑問だからである。その意味で、彼はやはり過渡期の人なのである。

もちろん彼の世代が実際に生きてきたのは、戦後の企業社会と、いまの過渡期という2つの時代である。しかし、かなり早い時期に前者(戦後の企業社会)に見切りをつけ、後者(過渡期)をすっ飛ばして、次の時代に居場所を移しているという自覚がある。なぜ戦後の企業社会に見切りをつけたのか。それは、あまりに日本固有の特殊な社会が未来永劫そのままの形で存続するとは、とても信じられなかったからである。20年前に言い出したとき、理解する人は本当に少なかった。

誤解のないよう書いておくが、別にアメリカと比べて特殊だとか、遅れているといった、近視眼的な見方でいっているのではない。世界中のあらゆる国と比べても、もっといえば有史以来の地球上に生まれたどの国を探しても、戦後日本のような特殊な社会を創った国は見当たらないのである。

— posted by Chapman at 01:25 am  

八割の人が一度は転職を考えたことがある

管理職になって仕事も増え神経も使って苦労することに対してもらう給料の額(労働の対価)を考えると、全国一律賃金の大組織で地方勤務をするのが、いちばん「利益率」がよいというのはおわかりだろう。しかし、人間はこうした算数の世界だけで生きているわけではない。あまり出世しないと、同窓会でエリート社員になった幼なじみと会ってプライドが傷つくとか、年下の上司にこき使われてストレスが溜まるといった精神的ダメージがどうしても出てくる。

大ざっぱにいうと、社内での昇進に全力を注ぐ(偉くなる)か、大組織の地方勤務に徹する(楽に生きる)か、サラリーマンはこの二つの生き方を両極端として、そのあいだのどこかに自分の居場所をみつけてきたといえよう。サラリーマンの多くが、自分の生き方はこのままでいいのか、やはり出世したい、出世なんか気にせずにゆとりを持った生活がしたい等々、ときにふと悩んでは心があっちの極に振れ、こっちの極に振れしながら、人生を送っているわけである。

この悩みは、サラリーマンであれば程度の差こそあれ、いまも昔もそんなに変わらないだろう。ここで、前の記事で書いたキーワードの転職(⑨)が出てくる。まずは昔のサラリーマンである。20年くらい前までの日本社会では、転職なんかするのは落ちこぼれだという雰囲気が漂っており、いまや花盛りの転職雑誌などは一冊もなかった。

ところが、ある新聞社が実施した当時のアンケートをみると、「あなたは転職を考えたことがありますか?」という質問に、八割の人が「一度は考えた」と答えているのである。これには、たまたま上司から叱られた直後の人もいただろうし、赤ちょうちんで会社の不満をぶちまけたあとの人もいただろう。もちろん、本気で会社を辞めたいと思っている人もいただろう。

いずれにせよ、転職する人間は落ちこぼれといわれる時代であり、転職者には不利な年功序列賃金体系の時代にあっても、八割のサラリーマンが転職を考えたことがあるというのは興味深い。ましてや、20年前とは社会のムードもシステムも大きく変わったいまでは、転職を考えたことがない人など、ほとんどいないといっていいのではないか。

実際、某月刊誌でやっていた悩み相談のコーナーには、20代~30代のビジネスパーソンから毎月、山のように転職の相談が寄せられた。もうしばらく会社に残って課長くらいはめざしたほうがいいのか、出世レースから外れたがこのまま楽に生きようか、いまの会社はつまらないので転職したいのだがと、出世と転職の狭間で悩んでいる人がこのごろ多くなったことが実感できる。

— posted by Chapman at 11:42 pm