突然の女性の悲鳴に、人間が共通して取った行動とは?

アメリカでこんな事件が起こりました。午前3時、仕事帰りの一人の女性がアパートの近くで一人の変質者に襲われました。彼女の悲鳴を聞いて、そこの住人の38人もが窓から顔を出しました。ところが、彼女が殺されるまで30分間もあったのにもかかわらず、誰一人として、助けに駆けつけもしなければ、警察に通報した者もいなかったのです。

この事件はかなり特殊なものかもしれませんか、大都市に住む人々の冷淡さと無関心を示す事件の一つでした。「自分がしなくても誰かが・・・」ラクネとターリーは、困っている人が目の前にいるにもかかわらず、すすんで助けようとしない人の心理を、こんな実験で確かめています。

実験の被験者になった男女大学生を、小部屋に案内します。そこで、実験者は、「これから数人の人と、大学生が経験している個人的な問題について話し合ってもらいます」(実は、これは表向きの実験目的なのです)と説明します。そこで、各人が他の大を気にしないで自由に話し合えるように、そして、顔をあわせないですむように一人ずつ個室に入ってもらうようにしました。

討論はマイクロホンのついたヘッドホンを使って行ないます。それぞれのマイクは順に2分間だけ作動します。誰かのマイクが作動している間ほかのマイクは作動しませんので、いつも誰かの声だけが聞こえてくるようになっています。マイクロホンのついたヘッドホンを使ったのは、後で事件が起こった時、他の人とそのことについて相談できないようにするためでした。

討論は、まず始めに実験者側のサクラが、都市生活と自分の勉強とに適応するのに苦労していると話した後、ためらいがちに、自分は勉強中や試験中にテンカン発作を起こしやすいということを告白します。次に数人の大が意見を語りますが、実は、この人たちもサクラなのです。最後に、被験者が意見を語ります。

次に、また最初の人に順番がまわります。この人は、始めのうちは平静に喋っていたのですが、突然わけのわからないことを口走り、やがて、激しく苦しみ始めます。これで発作の起こったことがわかります。実は、これは演技なのです。実験者は、発作が起こった時点から、被験者の反応を記録し始めます。

自分以外の人が大勢いる時ほど、事件を知らせる人の少なくなることがわかっています。発作を起こした病人と2人だけの場合には、3分以内に全員か報告に来たのに対して、仲間が4人もいる時には、3分たっても60パーセントの人しか報告に来ませんでした。この実験から、自分と似たような立場の人がいると、事件に対する責任が分散してしまうことがわかります。つまり、自分が報告しなくても、誰か他の人がするだろうと思ってしまうわけです。

被験者が友人と実験に参加していた場合には、違った結果か見られています。自分の知り合いがいると、その人に対する自分の印象をよくしたいと思うため、報告までの時間が短くなり、実験の終了までに全員が報告していました。知り合い同士の間には、「われわれ意識」が生じており、責任の分散が起こらなかったことを示しています。

次は、実験の始まる前に、被験者が病人役の人と知り合いになっていた場合の結果です。病人と面識がある場合には、報告までの時間が短くなり、全員が報告していることがわかりました。この場面では、被験者は自分が病人を知ってい
るただ一人の人間だと思い、特別の責任を感じていたと考えられます。

また、面識かあるので、病人の苦しみか具体的に想像でき、同情心も強く働くと同時に、後で、その病人に悪く思われたくないという思惑も働いていたと考えられます。

援助したくなる不思議な心理

以上のような事柄は、他の人に対する援助行動の一つとして、多くの研究がなされています。人に援助行動を引き起こさせるにはいくつかの条件が必要です。一つは、ラタネたちの実験でも明らかになったように、私が助けなければ助ける人がいないのだ(責任の分散が起こらないこと)という状況がなくてはなりません。

ですから、誰かに手助けを求める時には「あなた以外に頼れる人がいないので、どうしてもあなたにお願いしたいのです」という態度か必要になるわけです。

第二に、たいていの人は、自分は慈悲深くて、他の人に対して親切であると思っているので、その気持ちをうまく引き出すことです。街頭募金に協力しようかどうか迷っている人は、自分の目の前で募金に協力している人がいると、募金がしやすくなるものです。援助行動をしているモデルを見せられると、自分も援助しなければ大変冷たい人だと思われかねないと考えるからかもしれません。

職場で募金などをする時には、まず上司にたくさん寄付をしてもらってから他の職員に呼びかけるのは、こうした理由からなのです。

— posted by pippin at 01:58 am