都会の人の関心・田舎の人の関心

初めて行った田舎の街を歩いている時に、通り過ぎる人の視線が気になったという経験をおもちではありませんか。いろいろな町の人のあなたへの関心度を調べてみましょう。あなたは道の端に立っています。そして、そこにやって来る通行人が3メートルほどまで近づいたら、その通行人の顔をじっと見ればよいのです。

その時の反応によって、通行人のあなたに対する関心度かわかります。あなたが魅力的な女性でしたら、くれぐれも、場所と時間、それと見つめる相手が悪い人でないことなどに十分注意してください。

視線をあわせた人・そらした人

アメリカで4番目に大きい都市フィラデルフィアと、その近郊の町ブリンマウル、そしてフィラデルフィアから約80キロメートル離れた田舎の小都市パークスパークという3つの都市でこんな実験が試みられました。

男性と女性の実験者が、郵便局と食料品店のドアから1メートルほど離れたところに立ちます。このドアに入ろうとする通行人が実験の被験者となります。通行人がドアから3メートルほどの所に来たら、実験者はその通行人の目を見つめ始めます。その時、通行人が実験者と目をあわせたか、実験者に何か話しかけてきたかを調べます。

実験者と目をあわせた人は、実験者の立っていた場所とは関係がなく、大都市で最も少なく、田舎の小都市で最も多くなりました。また、女性の実験者に対しては、43パーセントの人が視線をあわせたのに対して、男性の実験者には35パーセントの人しか視線をあわせませんでした。これは男性に対する防衛的な行動とも受け取れます。

さらに、実験者と目をあわせた人の年齢を見てみると、実験者の性別にかかわりなくお年寄りと子供の多いことがわかりました。多分、子供と老人は比較的ひまがあり、何か変わったことに強い関心を示すせいでしょう。知らない土地でのコミュニケーションか、子供とお年寄りから始まるということがわかります。

さらに、実験者に何か話しかけてきた人の割合を見てみると、田舎の小都市では26パーセントだったのに対して、大都市とその近郊の都市では3パーセントしかありませんでした。一般的に、大都市の住民は日頃から大勢の人との間に過剰な接触があるので、必要がない限り他の人とコミュニケーションが生じるのを避けているのです。そのためには、他の人と視線をあわせないというのが最も効果的であったわけです。

— posted by pippin at 02:13 am  

 

突然の女性の悲鳴に、人間が共通して取った行動とは?

アメリカでこんな事件が起こりました。午前3時、仕事帰りの一人の女性がアパートの近くで一人の変質者に襲われました。彼女の悲鳴を聞いて、そこの住人の38人もが窓から顔を出しました。ところが、彼女が殺されるまで30分間もあったのにもかかわらず、誰一人として、助けに駆けつけもしなければ、警察に通報した者もいなかったのです。

この事件はかなり特殊なものかもしれませんか、大都市に住む人々の冷淡さと無関心を示す事件の一つでした。「自分がしなくても誰かが・・・」ラクネとターリーは、困っている人が目の前にいるにもかかわらず、すすんで助けようとしない人の心理を、こんな実験で確かめています。

実験の被験者になった男女大学生を、小部屋に案内します。そこで、実験者は、「これから数人の人と、大学生が経験している個人的な問題について話し合ってもらいます」(実は、これは表向きの実験目的なのです)と説明します。そこで、各人が他の大を気にしないで自由に話し合えるように、そして、顔をあわせないですむように一人ずつ個室に入ってもらうようにしました。

討論はマイクロホンのついたヘッドホンを使って行ないます。それぞれのマイクは順に2分間だけ作動します。誰かのマイクが作動している間ほかのマイクは作動しませんので、いつも誰かの声だけが聞こえてくるようになっています。マイクロホンのついたヘッドホンを使ったのは、後で事件が起こった時、他の人とそのことについて相談できないようにするためでした。

討論は、まず始めに実験者側のサクラが、都市生活と自分の勉強とに適応するのに苦労していると話した後、ためらいがちに、自分は勉強中や試験中にテンカン発作を起こしやすいということを告白します。次に数人の大が意見を語りますが、実は、この人たちもサクラなのです。最後に、被験者が意見を語ります。

次に、また最初の人に順番がまわります。この人は、始めのうちは平静に喋っていたのですが、突然わけのわからないことを口走り、やがて、激しく苦しみ始めます。これで発作の起こったことがわかります。実は、これは演技なのです。実験者は、発作が起こった時点から、被験者の反応を記録し始めます。

自分以外の人が大勢いる時ほど、事件を知らせる人の少なくなることがわかっています。発作を起こした病人と2人だけの場合には、3分以内に全員か報告に来たのに対して、仲間が4人もいる時には、3分たっても60パーセントの人しか報告に来ませんでした。この実験から、自分と似たような立場の人がいると、事件に対する責任が分散してしまうことがわかります。つまり、自分が報告しなくても、誰か他の人がするだろうと思ってしまうわけです。

被験者が友人と実験に参加していた場合には、違った結果か見られています。自分の知り合いがいると、その人に対する自分の印象をよくしたいと思うため、報告までの時間が短くなり、実験の終了までに全員が報告していました。知り合い同士の間には、「われわれ意識」が生じており、責任の分散が起こらなかったことを示しています。

次は、実験の始まる前に、被験者が病人役の人と知り合いになっていた場合の結果です。病人と面識がある場合には、報告までの時間が短くなり、全員が報告していることがわかりました。この場面では、被験者は自分が病人を知ってい
るただ一人の人間だと思い、特別の責任を感じていたと考えられます。

また、面識かあるので、病人の苦しみか具体的に想像でき、同情心も強く働くと同時に、後で、その病人に悪く思われたくないという思惑も働いていたと考えられます。

援助したくなる不思議な心理

以上のような事柄は、他の人に対する援助行動の一つとして、多くの研究がなされています。人に援助行動を引き起こさせるにはいくつかの条件が必要です。一つは、ラタネたちの実験でも明らかになったように、私が助けなければ助ける人がいないのだ(責任の分散が起こらないこと)という状況がなくてはなりません。

ですから、誰かに手助けを求める時には「あなた以外に頼れる人がいないので、どうしてもあなたにお願いしたいのです」という態度か必要になるわけです。

第二に、たいていの人は、自分は慈悲深くて、他の人に対して親切であると思っているので、その気持ちをうまく引き出すことです。街頭募金に協力しようかどうか迷っている人は、自分の目の前で募金に協力している人がいると、募金がしやすくなるものです。援助行動をしているモデルを見せられると、自分も援助しなければ大変冷たい人だと思われかねないと考えるからかもしれません。

職場で募金などをする時には、まず上司にたくさん寄付をしてもらってから他の職員に呼びかけるのは、こうした理由からなのです。

— posted by pippin at 01:58 am  

 

何となく窓から外を見たくなるのはなぜ?

たった一人で長い時間部屋の中にいると、窓を眺めて、外にいる人の動きや風景を見たくなることがあります。こんな時には、いつも見なれた光景であっても、何となく一生懸命見てしまうものです。単独登山を好む登山家や単独で世界を一周するヨットマンなど例外的な人もいますが、たいていの人は長時間の孤独に耐えられないものです。携帯用CDプレーヤーなどが流行したのも同じような理由によるのかもしれません。聞き慣れた音楽を聞いていると、親しい友人と話をしているような気持ちになるので、孤独感が癒されるのでしょう。

五感の刺激がなくなると、人は三日も耐えられない

人は新しい刺激によって、常に自らの五感を刺激している必要があります。こうした現象を、ヘロンたちは実験によって確かめています。狭い部屋に男子大学生を一人ずつ長時間閉じこめてしまいます。この部屋は、できるだけ人間の感覚器官を刺激しないように工夫されています。大学生には、半透明の保護メガネをかけさせて視覚刺激をできるだけ少なくします。

その他、手には木綿の手袋をはめ、そで口には長い筒をはめ、また、頭には気泡ゴム枕を当ててそれぞれの触覚刺激を制限します。部屋には防音装置がしてあり、聴覚刺激も制限されています。こうした状態で、学生は日に24時間、食事と排泄の時以外は、快適なベッドに横にならされていたのです。

1日20ドルの報酬(当時としては、かなりの高額であった)が支払われたのにもかかわらず、この孤独な実験に、2日ないし3日以上耐えられた者はほとんどいませんでした。最初の4時間から8時間は何とかもちこたえるのですが、それ以後になると、イライラして落ち着かなくなります。刺激を求めて歌ったり、口笛をふいたり、独り言を言ったりし始めます。

実験が数日続くと、リスが行進している光景が見えるとか、音楽が聞こえるとかいった幻覚か出現します。4日後になると、手が震えたり、まっすぐ歩けなくなったりします。質問に対する反応は遅くなり、思考に混乱が生じますが、ちょっとした痛みにも敏感になり、身体的刺激には過敏に反応するようになりました。

実験室に入る前と実験中および実験終了後に、ごちゃまぜの文字から単語をつくったり、ある単語の文字から、できるだけたくさんの別の単語をつくる、という作業をさせます。2日目になると間違いがきわめて多くなりました。物事に気持ちを集中して考えることができなくなっていることがわかりました。もとのレベルまで戻るには、実験が終わってから3日以上の期間が必要になるようです。

このような実験から、人間の心が正常に働くためには、常に外からの新しい刺激が必要であることがわかりました。レーダーの監視員や長距離の運転手が、実際にはない物を見てしまったり、高層住宅の物音のほとんどしない小さな部屋に、昼間一人だけでいなくてはならない主婦が、突然強烈な不安に襲われたりするのも、実験と似たような状況におかれたからだといえます。

感覚の剥奪には、人の思想やものの考え方を変えさせてしまう力があります。人を感覚の剥奪状態におくと、批判的能力が阻害されてしまい、どんな不合理な意見にも熱心に耳を傾けるようになり、やがてそれを信じ込むようになるといわれています。

これは「洗脳」と呼ばれていますが、長期間の合宿をして、精神教育をするといった類のものは、こうした方法を利用しているわけです。犯罪者を独房に閉じこめるというのも、似たようなことなのかもしれません。

— posted by pippin at 01:44 am  

 

見知らぬ人に近づかれると、つい取る行動とは?

横断歩道で、信号待ちをしている人がいたら、その人のすぐ近くに立ってみましょう。信号が青になってから道路を渡り終わるまでのようすを観察してください。

ケース1突然歩くのが速くなった・・・その理由は?

歩道で信号が変わるのを一人で待っている、いろいろな年齢の歩行者かターゲットになります。信号が青に変わる10秒前に、歩行者と同性の20歳代の実験者が、その歩行者の近くに立ちます。2人の肩と肩の間隔が約30センチになるように、歩行者の右あるいは左側に立ちます。そして、信号が青になって、歩行者が道路を渡り、向かい側の歩道に着くまでの所要時間を計測します。実験者は、信号が青になっても横断しないで、もとの所にいます。

同じように、60センチ、150センチ、3メートルの場合も試してみましょう。信号待ちの10秒間に、実験者が被験者の近くに立てば立つほど、速く横断することがわかりました。この傾向は男女ともに同じでした。人は見知らぬ人に必要以上に近づかれると、その人から早く遠ざかりたいと願うので、自然と歩くのが速くなったわけです。特に、話しかけられるのが嫌な相手だったりすれば、一層この傾向がはっきりするものと思われます。

ケース2「知らない顔」をする人の心理

さらに勇気があったら、その歩行者の親切さを試してみましょう。実験の手続は前と同じですが、今度は、実験者も一緒に歩き始めます。そして、二つの条件で歩行者を追い抜いていきます。一つの条件では、歩行者が歩き始めたら、立っていた時と同じ間隔をおいて一緒に歩き始めます。途中まできたら、スピードを上げて追い抜いてしまいます。追い抜く時に、腕にかけていた上着からエンピツを落とします。これを追い抜き条件とします。

もう一つの条件では、実験者は信号が青になるやいなや大急ぎで歩き始めます。そして、歩行者の150センチほど前を歩きながら、さきほどのように、エンピツを落とします。これを先行条件とします。こうした条件の時に、歩行者が実験者に、エンピツが落ちたのを教えてくれるか、あるいは拾って渡してくれるかを調べます。

結果は、実験者が歩行者の近く(50センチ以内)にいる場合には、それより遠い(150センチ以上)場合に比べ、エンピツの落ちたことを教えてくれたり、拾ってくれたりする人が少なくなることがわかります。特に、途中で追い抜いた時には、60センチ以内で、この傾向が一層はっきりします。

自分の余りにも近くで起こった事柄に対して、あたかもそのことに全然気がつかなかったというように知らない顔をする、という人間心理が読み取れます。もっとも鍵を落とすという別の実験では、いずれの条件でも援助行動は抑制されなかったという結果が出ています。つまりほとんどの人が、教えたり拾ったりしてくれたわけです。

エンピツの場合に距離によって差が見られたのは、人は、あまり重要でないと判断した事柄については、できるだけ関与したくないと思っているという理由から説明できるでしょう。

— posted by pippin at 12:42 am  

 

自分を知っている人が誰もいないという開放感

旅行に出かける理由はいろいろありますが、一番の喜びは、旅先での解放感ではないでしょうか。この解放感は、自分を知っている人が誰もいないという心理に起因します。つまり、自分が恥をかいたり、失敗したり、あるいは、破廉恥なことをしても、そのことで後々困ることは起こらないと思うからです。

旅先にいる自分は、家庭や職場の私ではなくて、どこの誰だかわからないような匿名性をもった、一人の人間なのです。このように、自分を見つめることを忘れ、他人から批判される懸念も薄れ、恥とか罪とかによる自己規制も弱まり、いつもならしないような行動をとることを、没個性化現象と言います。

こうした没個性化は、大勢の見知らぬ人々の中にいる時や群衆の中にいる時、自分が誰だか人にわからないような時に現われます。サングラスをかけるのも、大学生が学園祭で仮装行列などに熱心になるのも、同様な心理かもしれません。

自分が誰だか相手に知られていない時の深層心理

このような現象を知るための一つの実験例を紹介しましょう。ジンバルドーは、匿名性と攻撃行動との関係を次のような方法で調べています。

一グループ4人の女子大生は、他人の気持ちにどれだけ共感できるかを調べるための実験に参加します。もちろん、これは表向きの目的です。実験を始めるに当たって、お互いの顔の表情がわかってしまうと実験に影響が出てしまうからと説明し、目と口のところにだけ小さな穴のあいた袋のような実験衣を着せてしまいます。

女子大生の被験者のうち、半数は、この状態で実験に参加します。この状態は、誰が誰だか絶対にわかりませんので、没個性化の状況と呼びます。残りの半数は、同じ服装をしていますが、胸に大きな名札をつけます。この状況は、お互いの名前かわかってしまうので、個性化の状況と呼びます。

次に、実験者が以前に若い女性と面接した時の2種類のテープを、被験者たちに聞かせます。一つのテープには、とても良い印象を与える女性との会話が録音されています。この女性は、医学部に在学している兄の学費をつくるためにアルバイトをしているという人で、けなげで心がやさしく、とても感じが良いという印象を受けるように工夫されています。

もう一つのテープには、とても不快な印象を与える女性との会話か録音されています。この女性は、モデルをしながらデートするためのおこづかいを稼いでいるという人で、自己中心的で、大いに気に障る人という印象を受けるように工夫されています。さらに次の段階では、一方透視窓の向こう側で実験者と話している若い女性を被験者に観察させ、その女性の気持ちを判断するよう求めます。

その際、この女性は電気ショックを受ける実験のために来ている被験者であると伝えます。ついては、ちょうど良い折だから、電気ショックを与える役をやりながら、この女性の気持ちを判断して欲しいと頼みます。そこで、4人は別々のボックスに入り、合図のランプがついたらショックを与えるボタンを押し、止めの合図があるまで押しているように指示されます。

電気ショックの実験を始める前に、「向こう側にいる女性の被験者は、さきほどテープに登場した人です」と伝えます。そこで、良い印象を与えた女性と不快な印象を与えた女性が、それぞれ被験者として4人の前に現われます。実験が始まると、電気ショックを受けている女性が、身をよじったり、顔を歪めたりして、苦しそうにしている様子が見えてきます。

電気ショックを与える役の被験者は、苦しそうな様子を見て、気の毒だと思えば、合図を無視してボタンを押すのをこっそり止めることかできます。なぜならば、仲間の誰がボタンを押しているのかわからないようになっていたからです。実験者は、被験者が実際にボタンを押した回数と、ボタンを押していた時間を記録しました。

その結果、被験者がボタンを押し続けていた平均時間ですが、自分か誰だがわからないような、没個性化の条件の場合の方が、より長く電気ショックを与えていました。そして、没個性化の条件の中では、不快な印象をもった相手に対するほど、ショックを与える時間も長いことが明らかになりました。

このような実験を通して、人は自分が誰だかわからないような時には、他人に対してかなり冷酷になれるものだということがはっきりしました。特に、相手が気に障る嫌な人であれば、その傾向は一層顕著になることもわかりました。紹介した実験は攻撃性だけに関するものでしたが、この結果だけでも、没個性化のもつ恐ろしさを十分に教えてくれます。

— posted by pippin at 12:28 am