日本の大企業の子会社は姥捨て山に等しい

前の記事で紹介した彼らのように、子会社に飛ばされることを潔しとせず、自ら新しい職を求めて成功したケースは、わずか十年前の日本でも滅多にない。理由のいかんを問わず、日本の企業社会では、社内の役員レースに敗れたことが確定した時点で、子会社に転出し、そこで定年までのサラリーマン生活を送るのが当たり前の路線になっていた。

そもそも日本の大企業の子会社というのは、姥捨て山とまでいうのは失礼にしても、出世レースから弾かれた人たちを受け入れるのを主な目的としてつくられたものが多かった。また、前の記事で登場した将来の社長候補だった彼が突如として本社から追い出された理由は、それこそ単純明快。後ろ盾だった社長が会長になり、やがて経営から身を引いて、社内に影響力が及ばなくなったとたんの出来事だった。

彼が社長の「お気に入り」だったがゆえに、役員たちの「いつかあいつを飛ばしてやる」という怨念が、ここぞとばかり吹き出したわけである。過去、日本の会社では、こういう人事が日常的に繰り返されてきた。いや、いまでも相変わらず繰り返されている。こうして「刺されて」本社の出世ラインから外された者は、子会社や関連会社の社長や役員として飼い殺しの目に遭い、そこでくすぶって不満タラタラの余生を送る。

とはいえ、負け組の熔印を押されたという屈辱に耐えさえすれば、65歳、場合によっては70歳まで、老後の不安を感じることなく生活できる。退職金も二度もらえる。また、社風の違う会社に転職するより、親会社と同じ社風を持つ子会社の居心地はまぁまぁよいし、仕事もそんなに忙しくないから、サラリーマンとしての余生を送るには捨てがたい魅力もあった。

だから、本社の役員になれないとわかって、生きる情熱が一気に冷めてしまった人や、どこかに転職するにも売り物になるワザや経験がないと思った人は、辞令にしたがって素直に子会社に転籍していったのである。ところが、彼の場合は、当時は希少価値ともいえた「英語をしゃべれる経営者」だったから、充実した第二の人生に巡り会うことができたといえる。

先の例に出した二人の元銀行マンも、従来の大企業のルールに準じて、「キミは役員レースから脱落した。さあ、どうする?」と決断を迫られたことになる。友人である銀行マンは会社に見切りをつけて、転籍を拒否して銀行とは関係のない会社に移った。一方、そういう受け皿のない元銀行マンのほうは、いったん辞令を受け入れて子会社に移ったが、まだ仕事への情熱が十分に残っているだけに、今後についてあれこれ悩んでいるわけである。

彼らの悲劇は、銀行を取り巻く環境が大きく変わって、思いもかけなかった金融大再編が起こり、役員の椅子が半減してしまったことだ。とはいえ、もし金融大再編が起こらなかったとしても、彼らが順当に本社の役員になれたかどうかは、まったくわからない。じつは、日本の大企業には妙な力学が働くことがままあり、銀行始まって以来の最年少支店長とか、若いときに大型プロジェクトを成功させたとか、海外で大きな実績を残したとか、いわば華々しい活躍をした人、目立つ人ほど、意外と出世しないのである。なぜなら、先輩に嫌われて
しまうからである。

信じられないかもしれないが、先輩の役員の一人に嫌われただけで、役員候補から外されるという人事がいまでも行なわれている大企業はいくらでもある。ただ、さすがに大銀行である。こんな時代になってもなお、子会社に座る椅子を用意してもらえるだけ、彼らは恵まれているといっていい。いまでは一流メーカーも、役員レースに敗れた人たちを養っておくための子会社をどんどん清算しているからだ。いずれ、その種の子会社はほとんどなくなるだろう。

つまり、大企業に勤める多数のサラリーマンにとっての現実は、会社から「もうオマエはいらない」といわれたら、その時点で問答無用、イヤでも次の職場を探さなければいけない。子会社への転籍に満足できないなどというのは、いまや大銀行のエリート行員で役員候補だった人たちだけの、ある意昧でぜいたくな悩みにすぎないのである。

— posted by Chapman at 04:12 pm