「転職願望者」と「転職希望者」は違う

もちろん、転職を一度も考えたことがない人もいるだろう。その場合、①給料が業界の中で相対的に高い、②同期入社の中で出世争いのトップ集団に入っている、この2つの条件を同時に満たしている場合のみではないか。こういう恵まれた人はサラリーマン全体の1割以下、多く見積もっても2割はいないはずだ。

ちなみに2割いるとして、20年前と同じように現在も、残る8割が一度は転職を考えた人達だとしても、この両者の内実はまったく違ってしまっている。同じ8割でも、とても同列には論じられないのである。20年前の「8割」の大半は、本当は転職する気がない、単なる「転職願望者」だった。

対して今の「8割」は、よい転職先があればすぐにでも移りたい、本当の「転職希望者」である。転職というキーワードを与えてくれた例の銀行マンが、実は単に転職願望者なのか、それとも本気の転職希望者なのか、まだ本当のところがわからない。

なぜなら彼は、つい最近まで20年前までのムードとシステムを残す大銀行勤務だった。そのなかに30年間どっぷりと漬かって生きてきた人が、いくら時代が大きく変わったからといって、すぐに「転職願望者」から「転職希望者」に変われるものかどうか、いささか疑問だからである。その意味で、彼はやはり過渡期の人なのである。

もちろん彼の世代が実際に生きてきたのは、戦後の企業社会と、いまの過渡期という2つの時代である。しかし、かなり早い時期に前者(戦後の企業社会)に見切りをつけ、後者(過渡期)をすっ飛ばして、次の時代に居場所を移しているという自覚がある。なぜ戦後の企業社会に見切りをつけたのか。それは、あまりに日本固有の特殊な社会が未来永劫そのままの形で存続するとは、とても信じられなかったからである。20年前に言い出したとき、理解する人は本当に少なかった。

誤解のないよう書いておくが、別にアメリカと比べて特殊だとか、遅れているといった、近視眼的な見方でいっているのではない。世界中のあらゆる国と比べても、もっといえば有史以来の地球上に生まれたどの国を探しても、戦後日本のような特殊な社会を創った国は見当たらないのである。

— posted by Chapman at 01:25 am