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皮肉にも年収が下がったために転職先の選択肢が広がった

たしかに、彼の状況には同情の余地がある。これまでの日本の銀行なら、彼が役員になれていた可能性は、少なくともいまよりはずっと高かったはずである。ところが、合併によって、役員になれる確率がガクンと落ちてしまった。そもそも、わずか10年前までは二桁の都市銀行があったのに、それが三菱束京UFJ・三井住友・みずほ・りそなの四行にまで減り、日本興業銀行、第一勧業銀行、富士銀行といった名門銀行の名前が消滅してしまうなど、誰も想像できなかったはずだ。

おまけに、役職が上がれば給与も上がるのが当たり前たった銀行業界で、年収がかつての6割になってしまうなんて、悪夢以外の何物でもないだろう。しかし、彼には冷たいようだが、いまさら「こんなはずじゃなかった」と気がついて、あれこれ悩むようでは遅いのである。さらにいえば、50代半ばに近づいても、自分の進む道を自分で決められないこと自体に、彼の悲劇(あるいは自業自得)がある。そこで、少し皮肉まじりにこういった。

「あなたの年収が1600万円だったら、転職の選択肢は非常に狭くなる。そこまで払える会社なんて少ないからだ。しかし、1200万円だったら、選択肢は広がる。その年収であなたのキャリアを活かして働いてほしいという会社は多いはずだ」

彼は話を聞いて、がっかりした様子だった。なぜなら、1200万円の年収に我慢できずに相談にきたのであり、同じ年収なら転職の意味が薄れるからだ。その表情をみて、最後にこういった。

「あなたはまだ50代前半なのだから、あと10年は現役でやれる。どの道に進んだらいいかと悩んでいる段階で相談を持ちかけても仕方がない。やはり、自分はサラリーマン人生の最後に何をしたいのかをもっときちんと突き詰めて考えて、その答えが出てから相談にきてほしい。そのときに、改めて相談に乗りましょう」

じつは彼だけではなく、このごろ、一流大学を出て30年ものサラリーマン生活を送ったあげく「自分の人生はこんなはずじゃなかった」という人が、なぜか増えているのである。もしかしたら、あなたもその一人なのかもしれない。

— posted by Chapman at 05:30 pm  

年収1億円を稼ぐ人、500万円に甘んじる人

ということで、次のではいったん過去にさかのぼってみることになる。過去の検証は、もちろん未来に結びつくものでなくてはならない。なぜ、これからは30代でも年収1億円を稼げる人が当たり前のように出てくると断言できるのか。逆になぜ、人によってはずっと年収500万円のままで生きるしかなくなるのか。ともかく話をここにフォーカスして、なるべくわかりやすく分析してみるつもりである。

その際に、冒頭に書いた銀行マンの話に出てくるいくつかのキーワードを手掛かりにすると、話がよりわかりやすくなりそうだ。なぜなら、彼がいま置かれている立場は、ちょうど「これまでの日本社会」と「これからの日本社会」とを結ぶ過渡期と呼ぶのにふさわしいからである。

そのキーワードとは、たとえば彼が50代前半(①)の銀行マン(②)で、若くして支店長(③)になり、続いて本部の部長(④)を二つ経験したエリート(⑤)だったにもかかわらず、ついに本社役員(同じく(④)にはなれなかった。彼は子会社(⑥)の執行役員(⑦)になり、来年はそこの常務(⑧)にはなれそうなのだが、他にまだやってみたいこともあり、思いきって子会社を辞めて転職(⑨)すべきかどうか真剣に悩んでいる等々、これだけでも少なくとも9個はある。

なかでも⑤の転職などは、日本の企業社会の過去と未来をはっきりと色分けするキーワードとして、じつに使い勝手がよいといえる。他人と過去は変えられないというが、過去をしっかり検証することで、自分と未来を変えるための重要なファクターを手にすることができる。このテーマでいけば、過去を知ることで、これからの会社が1億円積んででもほしい人がどういう人かよくわかる。その結果として会社が放り出したい人がどういう人かもみえてくるのだ。

当然ながら、この両者の決定的な違いを知ることによって、あなたがこれからどう生きていけばいいのかが、イヤでもはっきりとわかってくる。次に書いてある分析は、終戦直後の時代をよく知らない若い人たちには、新鮮な驚きを与えるに違いない。それどころか、あの時代を現実に生きてきた人たちにも、おそらくは「そういうことだったのか」と目から鱗の経験を味わっていただけるはずである。

— posted by Chapman at 12:49 am  

高度経済成長を知っている人たちほど思考を切り替えるべきだ

元銀行マンの彼がどんな決断を下すのか知らないが、相談を受けた時に言外に思いきって転職するよう勧めている。仕事への情熱が消えていないということは、それこそが、間違いなく彼の選択すべき道だからだ。もし、不幸にも彼に会社人間的な生き方が染みついていて、子会社にとどまる選択をした場合、二重の悲劇が待っていることにもなりかねない。

それは一つに、やりたいことをやらずに会社人生を終わらせる後悔が、事あるごとにチクチクと彼の心をさいなみ続けること。もう一つは、かなりの確率で予測されるもっと現実的な悲劇だ。すなわち、いくら大銀行の子会社とはいえ、再編・統合・整理の可能性は大いにある。むしろ銀行の子会社だからこそ、親会社に何かあればすぐに影響を受けることは間違いない。

ひるがえって、いまから社会人としての本格的な人生が始まる若い人たちには、これからは会社人間的な生き方は絶対のタブーである、とここに断言しておきたい。いまあなたが30歳だとして、もしこれからも会社人間的な発想で生きていくと、だいたい15年から25年後には、ほとんどの人が「こんなはずじゃなかった」という目に遭うことになる。

しかも、いままでと違って、あなたには行くべき子会社もない。そのとき、あなたにサラリーマン気質が残っていて、ビジネスパーソンになりきっていなかったら、つまり年齢相応のワザも経験も持っていないとなったら、これはもう想像するだに恐ろしい悲劇である。しかし、逆にあなたが一流のビジネスパーソンとしての経験とワザを蓄積していたなら、すばらしい人生が待ち受けているはずだ。

要は、これからの生き方さえ間違わなければいいのである。ここで言葉を使い分けたのは、戦後の日本的企業社会を生きてきた人たちをサラリーマンと呼び、これから日本のビジネス界を生きていく人たちをビジネスパーソンと呼んで、区別したいからである。まさしくビジネスパーソンとして生きて自分を磨いていった人は、いまの時点では想像もできないような高収入を手にすることができるだろう。

たとえば、金融大再編前の大手都市銀行で、50歳くらいの部長の年収は2000万円程度。それでも多いと思われるかもしれないが、これからは、そんなケチな話ではあなたの人生は終わらないのだ。くだんの銀行マンも転職先での活躍次第では、年収3000万円、5000万円も夢ではない。事実、数年前、とある銀行マンをある大手ソフト会社に紹介した。最初は「平取締役で」とシブイことをいっていたが、わずか3年のあいたに常務、専務と登用され、年収も3000万円を超え、いまではとても感謝されている。

早ければ30代、40代のうちに、年収1億円を手にすることも十分可能になる。対して、従来のままの会社人間的な発想で生きてしまう人は、いずれ会社が放り出したいような社員になるだろう。かといって、会社としても社員をむやみに放り出すのは世間体が悪いから、昇給
も昇進もなしという条件で雇ってくれるかもしれない。もしかしたら入社20年経っても年収500万円という人が出てくるだろう。コインの裏表そのままに、これからは収入面では極端な二極化が進むというのが、私の読みである。

そうはいっても、こんなことをにわかには信じられない人が多いかもしれない。すでに20年も前から、いま現実に起きている変化、さらにこれから日本が向かう方向について、友人や同僚に語ったりしてきた。いまのところ、それらはほとんどすべて当たっている。しかも有言実行で、しゃべったりしてきたことを実際の行動に移してきた。しかし、当時は、「彼の言っていることは現実離れしている」とか「そんな話は信じられない。経営コンサルタントだから、勝手なことをいえるのだ」という批判も受けた。ところが、そういった人たちも、いまは私と同じようなことをいっているのだから、どちらが正しかったかは自ずとわかるだろう。

そこで何も自慢するわけではないが、ここで改めてもう一度、時代をどう読んできたかを振り返り、これからどうしたらよいかを残しておきたいと思ったしだいである。ドリームインキュベータ(以下、DI)の社員たちにも、「ものを考えるときには、長い時間軸をとって過去をさかのぼれ」といっている。ただし、過去の延長線上に未来はない。未来は単純に過去の延長線上にはないけれども、過去をつぶさに検証しなければみえてこないのだ。

多くの人は、過去の検証もせずに、過去の延長線上にそのまま未来があると思っているから、未来を見誤ることになる。たとえば、バブル経済真っ盛りのとき、戦後の高度経済成長を知っていた人たちほど、右肩上がりの延長上に日本の未来があると考えた。せっせと株を買い、不動産を買ったのは、そういう人たちだ。ところが、日本経済は急転直下、地獄に落ちた。

何も、これから上に何度、あるいは下に何度の角度で日本経済は進むと、そこまで正確に読めといっているのではない。第一、そんなことは人間には不可能だ。これからは上に向かうか、はたまた下に向かうか、その程度のことがわかれば十分なのである。

— posted by Chapman at 04:25 pm  

 

日本の大企業の子会社は姥捨て山に等しい

前の記事で紹介した彼らのように、子会社に飛ばされることを潔しとせず、自ら新しい職を求めて成功したケースは、わずか十年前の日本でも滅多にない。理由のいかんを問わず、日本の企業社会では、社内の役員レースに敗れたことが確定した時点で、子会社に転出し、そこで定年までのサラリーマン生活を送るのが当たり前の路線になっていた。

そもそも日本の大企業の子会社というのは、姥捨て山とまでいうのは失礼にしても、出世レースから弾かれた人たちを受け入れるのを主な目的としてつくられたものが多かった。また、前の記事で登場した将来の社長候補だった彼が突如として本社から追い出された理由は、それこそ単純明快。後ろ盾だった社長が会長になり、やがて経営から身を引いて、社内に影響力が及ばなくなったとたんの出来事だった。

彼が社長の「お気に入り」だったがゆえに、役員たちの「いつかあいつを飛ばしてやる」という怨念が、ここぞとばかり吹き出したわけである。過去、日本の会社では、こういう人事が日常的に繰り返されてきた。いや、いまでも相変わらず繰り返されている。こうして「刺されて」本社の出世ラインから外された者は、子会社や関連会社の社長や役員として飼い殺しの目に遭い、そこでくすぶって不満タラタラの余生を送る。

とはいえ、負け組の熔印を押されたという屈辱に耐えさえすれば、65歳、場合によっては70歳まで、老後の不安を感じることなく生活できる。退職金も二度もらえる。また、社風の違う会社に転職するより、親会社と同じ社風を持つ子会社の居心地はまぁまぁよいし、仕事もそんなに忙しくないから、サラリーマンとしての余生を送るには捨てがたい魅力もあった。

だから、本社の役員になれないとわかって、生きる情熱が一気に冷めてしまった人や、どこかに転職するにも売り物になるワザや経験がないと思った人は、辞令にしたがって素直に子会社に転籍していったのである。ところが、彼の場合は、当時は希少価値ともいえた「英語をしゃべれる経営者」だったから、充実した第二の人生に巡り会うことができたといえる。

先の例に出した二人の元銀行マンも、従来の大企業のルールに準じて、「キミは役員レースから脱落した。さあ、どうする?」と決断を迫られたことになる。友人である銀行マンは会社に見切りをつけて、転籍を拒否して銀行とは関係のない会社に移った。一方、そういう受け皿のない元銀行マンのほうは、いったん辞令を受け入れて子会社に移ったが、まだ仕事への情熱が十分に残っているだけに、今後についてあれこれ悩んでいるわけである。

彼らの悲劇は、銀行を取り巻く環境が大きく変わって、思いもかけなかった金融大再編が起こり、役員の椅子が半減してしまったことだ。とはいえ、もし金融大再編が起こらなかったとしても、彼らが順当に本社の役員になれたかどうかは、まったくわからない。じつは、日本の大企業には妙な力学が働くことがままあり、銀行始まって以来の最年少支店長とか、若いときに大型プロジェクトを成功させたとか、海外で大きな実績を残したとか、いわば華々しい活躍をした人、目立つ人ほど、意外と出世しないのである。なぜなら、先輩に嫌われて
しまうからである。

信じられないかもしれないが、先輩の役員の一人に嫌われただけで、役員候補から外されるという人事がいまでも行なわれている大企業はいくらでもある。ただ、さすがに大銀行である。こんな時代になってもなお、子会社に座る椅子を用意してもらえるだけ、彼らは恵まれているといっていい。いまでは一流メーカーも、役員レースに敗れた人たちを養っておくための子会社をどんどん清算しているからだ。いずれ、その種の子会社はほとんどなくなるだろう。

つまり、大企業に勤める多数のサラリーマンにとっての現実は、会社から「もうオマエはいらない」といわれたら、その時点で問答無用、イヤでも次の職場を探さなければいけない。子会社への転籍に満足できないなどというのは、いまや大銀行のエリート行員で役員候補だった人たちだけの、ある意昧でぜいたくな悩みにすぎないのである。

— posted by Chapman at 04:12 pm  

日本の会社にこだわっていた自分がバカだった

そうかと思えば、こんな対照的な例もある。これは知り合いの話である。彼は京都大学法学部土竿業後、大手海運会社に入社した。この会社には超ワンマンの実力社長がいて、会長になってからも縦横無尽に権力を振るったのだが、たまたま彼は入社後しばらくして、その社長にたいへん気に入られることになった。で、オマエはいつもオレの身近に居ろということで専属秘書役のような役割をおおせつかった。

朝、社長が出社してくると、今朝の新聞にはわが社関連の記事がこういう具合に載っていました、世界情勢はこうなっています、為替レートはこうですと、昔でいえば殿様の御進講役みたいなものを務めたのである。社長の絶対的な威光があるから、彼はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いで名前が社内に知れ渡り、常務クラスでさえまだ若かった彼にペコペコする人がいたくらいだ。そんな生活を送るなかで、彼は自分か将来の社長候補だと思い込んでいたのだが、その実力会長が引退してしばらくしたら、突然、子会社の社長に飛ばされることになった。

望んでいた本社の社長の椅子どころか、彼は取締役にも残れなかったのだ。その子会社も一応海運会社だが、なんと船を一隻しか持っていなかった。ただし、その船は政府が調査船として借り上げているから、確実に収益が上がって食うには困らない。その代わりに彼が社長としてやるべき仕事は何もなかったのである。これはあまりの仕打ちではないかということで相談にやってきた。彼は学生時代、外交官試験を受けるつもりで英語をよく勉強していたし、海外留学も経験していたので、こんな提案をした。

「お前、英語ができるんだから、思いきって外資系の会社に勤めたらどうだ」

「いいけど、どうすればいいんだ」

「ヘッドハンティング会社に登録したらいい」

「そんな方法があるのか」

そこで紹介したヘッドハンティング会社に彼は登録に行った。登録したら、すぐにいくつものよいオファーがきて、彼は世界でも1、2を争う海運会社の日本法人社長になった。そこは何十隻いや何百隻も船を持っている。水を得た魚よろしく、彼はその会社でバリバリ活躍し始め、収入のほうも3倍から4倍に増えたと大喜びしてこういった。

「いやぁ、あのときのアドバイスにしたがって、本当によかった。日本の会社にこだわっていた自分がバカだった。いまのほうが収入だけではなく縦横無尽に活躍できてナンボも幸せだ。まして、あんな子会社の仕長なんかにならないで絶対に正解だったよ」

NTTドコモで不動の本命、社長候補といわれていた津田志郎さん(元副社長)も同じような心境だったのだろう。ドコモの子会社の社長ポストを潔しとせず、ボーダフォンの社長兼最高経営責任者(CEO)に転籍して世間を驚かせたが、当人の気持ちはサラリーマンをした人ならある程度わかるのではないか。

— posted by Chapman at 11:21 pm